三ヶ月近くもの間、ずっと変わらぬ姿で咲いてくれていた蘭の花が、とうとう萎れはじめてしまった

ちと寂しい
でも、隣でぐーすか眠るラムの鼻は相変わらず

ぴぃ~♪…ぷぅ~♪(いびき)

ぷぷっ!…ぷぅ?…ぷぅ~んzzz
相変わらずのおしゃべり鼻
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昔一緒に暮らしていた先代猫は闘病生活の末にこの世を去り、
でも、火葬場から帰ってきたその瞬間から、うちには身軽になった先代がいました。
おそらく多くの人が経験しているでしょうが、
記憶や習慣から来る錯覚で「ああ、いるな…」って感じられるんですよね。
そしてそれに救われると同時に、「もういない」という悲しみにも襲われる。
でも、銀の場合は違っていて、あれからずっといないままで、
「どうやったら会えるんだろう」「どこに行けば」「何をすれば」と、
ひたすら以前の姿を探し求めてしまいます。
そんな状態では、錯覚も起こらず…いや、起こるんだけど、
「あ、いないんだった(寂)」じゃなくて「そんなわけない!(憤)」って、
そう思っちゃうんですよね。
そんなんだから、銀はいつまでたってもうちにいないわけで。
結局のところ、旅立った者を近くに感じるためには、
もう旅立ったのだという現実をちゃんと認める必要があるんだな、とか考えます。
先代との別れをちゃんと受け入れられたとは思っていなかったけど、
今考えると受け入れていたんだな~
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